有識者よりコメントを頂きました。
2009年8月 ご法話
ありのまま
私たちは、日々の生活を振り返ってみると、自分の都合のよいように判断する自己中心的な心のために、物事の真実の姿を誤ってみている場合がほとんどでそのことに振り回されているのではないでしょうか。そのためにさまざまな間違いを起こします。人の好意を悪意に受け止めたり、自然のありのままの姿をありのままに感じることができないのも自己中心的なこころのためではないでしょうか。
お釈迦さまは、私たちが真実の物のあり方を知らないために混乱を引き起こしているのだということを明らかにされました。そして如実に知見すること、つまり物事をありのままに見ることが大切であると教えられました。それが「智慧」といわれる能力です。仏教のさとりとは、この智慧を得ることでした。
では、智慧によって見る世界は、どのように違うのでしょうか。私をふくめすべての物が変化し、変わっていくこと、すなわち「無常」であることも、智慧の眼によって知らされます。それがわかったとき、いかに今、ここにいる私の「いのち」が有り難いものであるか、他の一切の「いのち」も同じように大切なものであるかに気付くことでしょう。
また、すべてのものが縁りあい、支えあって、なりたっていること、すなわち「縁起」の関係にあることも真実です。このことを知ることによって、私はただひとりだけで生きているのではなく、多くのお陰によって、生かされている事実に、目覚めることでしょう。そこにすべての人々が互いに害しあうことなく、助け合い感謝しあう世界がつくられていくのです。このことこそが、まさに仏教の教えの目的といえるでしょう。
尊いご縁によって人間に生まれてきた私たちです。仏教の教えを聞き、間違った見方をしている自分に恥じながら、少しでも真実にかなう生き方をしたいものです。