有識者よりコメントを頂きました。
2010年1月 お寺の役割
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
インターネット社会の構築とともに、お寺も変わりました。ホームページを立ち上げて、縷々様々な情報を発信するお寺も増えてきています。
お寺を探す人、求める人が居て、それに叶う情報を発信するお寺があって、人がお寺に行く(参る)集う、もっともっと活性化されて欲しいです。
今から2500年前のインドに於いて、お釈迦様が仏教を開かれました。
沢山のお弟子を連れて広大なインドを旅して回られます。托鉢の旅です。ところが雨季だけは、歩き回る事を禁じました。雨季、新しい命が芽吹く、その小さな命を踏んでしまわないように。そして一カ所に留まり、共同生活をし、語らいました。
この場所が『寺』の起こりと言われてます。
江戸時代に入り、寺社奉行管轄のなかで、寺は別の役割を与えられました。
役所の戸籍係りのような役割、これが檀家制度の起こりです。やがて僧侶(坊さん)は、その本来の役割である仏法流布(お釈迦様の教えを広めていく事)が出来なくなり、寺に居る事が役割とされました。
これが住職です。読んで時の如く、『住む職』です
時は流れて今日、沢山の僧侶が様々な形で方法で、仏教をアピールしています。
動物供養もその一つです。ペットを亡くして、供養したいと願った人に、その門を開くことでお寺との、坊さんとの出会いになるなら、それもお寺の役割だと思うのです。
批判もある事は承知の上です。
未だに『犬畜生に!』と言われる坊さんもいます。でも『犬畜生』の遺体を前に泣いている人が『弔ってやってください』と懇願されて断る事が果たして寺の僧侶の役割なのか?大いに疑問であります。
動物供養協議会には様々な坊さんが集っています。
宗派もいろいろ、地域も、寺の規模も違います。その僧侶が今『動物供養』というフィルターを通じて未来のお寺の可能性を模索しています。
10年先も100年先も、お寺が必要とされる社会。そのために我々に課せられた役割は大きいです。