有識者よりコメントを頂きました。
2010年5月 お寺の役割
先日、埼玉県で起きた動物遺体遺棄事件に関連して当寺にも数社のマスコミが取材に訪れました。その取材に答える中で自分自身「お寺の役割」について考えさせられました。例えば一人の人間にも夫としての役割があったり、親としての役割があったり、社会の中での役割があったりするように、いろいろな関係性の中で役割というものは変わってきます。そうした中で、ご先祖のご供養であったりペットのお葬式や法事であったりお寺にお参りにみえる方々にとってのお寺の役割とは「安心を提供すること」であると考えました。特に亡き人やペットの死後や来世に関する安心、先ずは荘厳な法要儀式を通してご先祖やペットのご供養をすることによる安心、仏教の教えや因縁に基づき死後来世の把握をし、それを参詣の方にお話しし安心して頂くことが大切な役割です。
ある取材の方に「お寺には2種の安心がある」という話をしました。亡き人やペットが安心することと遺族が安心すること 「本堂を開けると、いつでも線香の香りが溢れているお寺にしたい・・」たくさんの方がいつでも気軽にお参りできるお寺にしたいという意味で言ったのだと思います。お参りに来られる方々は、何かしらの想いを持ってお参りされるのです。先祖の事、家族の事、自分の将来の事・・。
何かしらの「お願い」を込めて仏様にお参りされるのです。多くの方々がお参りしやすいように門戸を拡げる事こそが、住職の勤めなのだと最近は本堂を開けるたびに実感するようになりました。お檀家様やご近所の方々との日常の関わりに於いてはいろいろな役割がありますが、こと法要儀式に関してはこの2種の安心を提供する事が大切な役割です。その他の方向性の役割として、社会の中に於けるお寺の役割が考えられます。これは、それぞれのお寺やご住職によっていろいろなコンセプトをもって活動されていると思いますが、私の場合はやはりお寺にみえた方が対象になり、特にご供養等ではなく例えばお経会や写経会での会話や、何気ない日常の会話の中で何かを尋ねられた時、一般社会とは異なるものの見方や価値観を提供する事が大切であると考えています。例えば、現代ではこの世に生れてから死ぬまでの一生が全てであるかのように捉えられています。それに対して仏教では前世や来世といった輪廻が前提となっていますから大きな時間の中での今の一瞬の自分が大切になってきます。或いは、一般には存在するかしないか或いはそれに基づいて事実であるかそうでないかと言った考え方をしますが、似ているようですが仏教ではどう感じどう認識するかというものの見方をします。なぜならば「わたし」が現に感じ認識している世界によって喜怒哀楽を感じているからです。或いはまた、損か得かという見方に対して善か悪かという見方を提供したり。このように、少し違う見方考え方を提供していくこともお寺の役割だと思います。